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太秦天神川駅

 京都市西京区にある駅。京都市営地下鉄で最も西にある駅で、2008年、二条駅から当駅まで延伸されたことにより開業した駅である。開業と同じくしてターミナルが整備され、嵐電天神川駅も開業した。西側はR=700で緩やかにカーブしており、将来的に洛西ニュータウン方面への延伸に対応した設計になっている。醍醐駅や京都市役所前駅などと同様、地上の再開発と並行して計画された駅でもある。地上部にはバスターミナルと、行政棟と分譲マンションから構成される「サンテ右京」が建設された。行政棟には京都市交通局本庁舎や右京区役所、右京中央図書館などが入居している。この駅のほか、東西線沿線には行政施設がやたらと位置しているため、「公務員線」と揶揄されこともある。

「太秦」という地名の由来には諸説ある。雄略天皇の御世、 渡来系の豪族・秦酒公が、絹を「うず高く積んだ」ことから、「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられ、これに「太秦」の漢字表記を当てたという説がある。この地は秦氏ゆかりの地で、太秦広隆寺は京都で最も古い社寺のひとつである。また、この近隣に木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ、いわゆる「蚕ノ社」)が位置しており、こちらも秦氏に関連のある神社という説がある。蚕ノ社は古くから祈雨の神として知られており、「続日本紀」や「延喜式」などにその名を見せる。平安時代末期の「梁塵秘抄」では、次のように木嶋社が伏見稲荷大社や石清水八幡宮と並んで参拝者が絶えず賑わった神社として歌われている。

 金の御嶽(かねのみたけ)は 一天下 金剛蔵王釈迦弥勒 稲荷も八幡も木嶋も 人の参らぬ時ぞなき
    ※)金の御嶽:金峯山、稲荷:伏見稲荷大社、八幡:石清水八幡宮

 鎌倉時代以降は江戸時代中期ごろまで全く文献に記載がみられず、約500年間に生じた出来事は不明である。境内にある社殿はいずれも明治時代以降の再建で、近年では消防用防火水槽設置のために初めて発掘調査が行われた。
 

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